第一部 ジェイムズとフッサール

第三章 ジェイムズとフッサール

Ⅰ 二人の哲学的スローガン

 「知」を愛する人間であればある程、「知ること」の難しさを厳しく受けとめ、一知半解の状態に甘んじる安直さに対して忿懣の丈を漏らすようだ。にもかかわらず、彼らは往々にして「見慣れたものを見知らぬかのように見、見知らぬものを見慣れているかのように見る」
(1)ひねくれた屁理屈屋とか、「はなはだ平凡に思われる事柄が、さらに綿密に考察してみると、根底に伏在するさまざまな諸問題の源泉となる」(2)のだと意味ありげに語る詮索好きの逆説家として見られ、一般の人からはあいかわらず歓迎されてはいないようだ。確かに「見慣れたもの」を「見慣れたもの」としてごく自然に取り扱い、「平凡な事柄」を「平凡な事柄」として簡単に片付けてしまうのは、われわれの日常生活においてはさし障りがないばかりか、好都合な場合さえある。しかし「知」を愛する人間にしてみれば、このような態度は不徹底で、あいまいさを残すが故に、やがては、なんでも知ったかぶりをする似非「知者」を生み、ついには意識的であれ、無意識的であれ、「己れ自身を知る」という哲学の永遠の課題を無意味ならしめてしまうのである。
 とはいえ、これはなにも「知」を愛する人の、即ち哲学者の一般の人達に対する軽蔑心を吐露しているのではない。むしろ「知ること」の難しさがわかるが故に、すぐれた哲学者は一般の人達には寛容であり、日常生活を素朴に送る彼らの生き様をそれなりに認めている場合が多いとさえ考えられる。その哲学者の忿懣はどちらかといえば「知ること」に使命を感じる同じ哲学者に対して向けられるのである。そして自ら哲学者たらんと欲すれば、欲する程、その哲学者の心はアンビバレントな状態に陥ってしまうのである。即ち「「知」を弄ぶ他の哲学者に対する痛烈な批判的精神と「無知」である哲学者としての己れに対する自己反省的精神との葛藤に悩まされるのである。
 この大胆さと小心さを兼ね備えているのが身の程を知る哲学者の一般的特徴なのであるが、そうした彼らのとどのつまりは、「知」を求めることにおいて彼らなりの「ラジカリズム」に徹することによって己れの「アルケー」を確立する以外には安心立命の境地には立てないと感じるようになるのである。歴史に名を残すような哲学者のほとんどは、時運によってたまたまスポットライトをあびたにせよ、それなりの「アルケー」を方法論とともに確立した人達であろうか。
 そのような哲学者として、今ここに、私はユダヤ系ドイツ人たるエドムント・フッサールとアングロ─アメリカ系のウイリアム・ジェイムズの二人を取り上げ、図らずも彼らが同じビジョンを現代人に対して提示していた事実を、私なりに訴えてみたいと思う。周知のごとく、彼らは半世紀前の人間であり、ある部分では過去の人間と見なされているのであるが、それでも「フッサール・ルネッサンス」、「ジェイムズ・ルネッサンス」という名でもって、今もまた、焦点にされる奥の深さをもっているのである。彼らは、一方では合理論者として、他方では、経験論者として、違った土壌のもとで育った哲学的環境にあったが、「知」を愛する点ではラジカルであり、それぞれの立場から、気負いにも似た哲学的スローガンを次のように掲げたのである。
 「啓蒙時代の合理主義はもはや問題にはない。一般に啓蒙時代の偉大な哲学者、それに過去の哲学者にわれわれはもはや従うことはできない。……隠された矛盾を背負い込んだ啓蒙時代の合理主義に対して心の合理主義を実現すること、それがわれわれ自身の課題である。」
(3)
 「哲学は、ソクラテスやプラトンの時代以後ずっと誤った手掛かりに拠ってきた。主知主義者の困難に対する主知主義的解決は決してでてこないであろう。それらの困難から抜け出る真の方法はそのような解答の発見にあるどころか、その問いに対する耳を単に閉じることにある。」
(4)
 彼らをしてこのように言わしめる根拠は彼ら固有の哲学観にあるのは言うまでもない。フッサールにとっては、哲学とは徹底して合理主義でなければならず、ラチオとしての理性による「認識者の自由な自己省察と自己規定」
(5)によって成立するものであったが、これまでの合理主義者はそれを不問にしたままで、従って彼の認識によれば、自我の問題を素朴な経験主義的自然主義に下駄をあずけてしまったままで、「合理主義」的世界観を構築してしまったのであった。言わば、見られる対象は問うたが、見る自分は問わないままに済ましたという意味において不徹底だったのである。
 これに対して経験主義に立つジェイムズは、これまでの経験主義においても合理主義的な主知主義が隠されており、それ故にわれわれの精神による「全実在の十全的把握」
(6)をもくろむ哲学が人間的生そのものに関わらない無益な論争に終始してしまったと考えた。彼にとっては、この中途半端な、彼の言葉によれば「お化けの」(7)ような経験主義から脱却することこそ、新しい哲学の夜明けを迎えることになるのだった。
 先程も述べたごとく、彼らは異なった哲学的環境にあったが故に、厳密に考えれば、そこで使われる同じ用語も違った意味でとらえられていたと考えられもしよう。
(8) しかし概観して考えるに、彼らのコントラストは興味深い示唆を提供しているとは言えまいか。即ち、フッサールはこれまでの合理主義に自然主義という経験主義の不純物を見たのに対して、ジェイムズはこれまでの経験主義に主知主義という合理主義の不純物を見て、ともにそれら不純物を排することが「ラジカリズム」としての真の哲学を可能にすると考えたのである。言わば彼らは自らのよってきたる基盤である哲学を批判し、それを乗り越えることで、言い換えれば伝統的合理主義あるいは伝統的経験主義を徹底化し純粋化することによって、己れにとっての真の哲学がうちたてられるのだと考えたのである。
 ただ私が彼らのコントラストに注目するのは、それだけの理由からではなく、結果として、フッサールの伝統的合理主義批判とジェイムズの伝統的経験主義批判とは同一の認識論的様相を展開しているということからである。
(9)確かにフッサールが哲学をその逸脱した状態からその本来的な姿にとり戻そうと意図したのに対し、ジェイムズが哲学をその理論的厳密さから解放し、下宿のおかみさんでも展開できるような全く異質の実際的対象に変えてしまったという点では、彼ら二人の批判はそれぞれの基盤の結果するところと考えられなくはない。しかし、彼らの哲学におけるこの奇妙なコントラストは、真の合理主義と真の経験主義とは哲学の両極端として対立的な関係にあるのではなく、内容的には結びついているのだとする考え方を導入している。
 そうなると、哲学は厳密なる普遍学でなければならないと考えるフッサールと、哲学はわれわれの具体的生活のためにあるのだとするジェイムズとは、一体どこで結びつくのであろうか。本章はその点に焦点をしぼり、私なりの視座に立って、その一部分を浮き彫りにしようとするものである。ただし、その際私は、最近の現象学者間のコンセンサスとしてあるように、ジェイムズを彼らの一員として取り込もうとする立場に必ずしも固執しないで論をすすめるつもりである。

Ⅱ 真の「合理主義」と真の「経験主義」

 さて、彼らの目指す真の合理主義、真の経験主義とは具体的には何であるのだろうか。言うまでもなくわれわれはフッサールが「超越論的現象学」、そしてジェイムズが「根本的経験論」という形で彼らの哲学を結実させていった事実を知っている。しかしながら、彼らの研究を詳細に吟味していった場合、彼らの立場上からくるスローガンにもかかわらず、実際のところは、合理主義と経験主義は(とりわけ近代哲学として言われる場合には)そのどちらかの哲学的優位性が確立されるべき二派閥なのではなく、フッサールの「超越論的現象学」からであれ、ジェイムズの「根本的経験論」からであれ、両者は共にその不徹底さが問われるべきあいまいさをもっていたと断罪されているのである。
 フッサールは自らを合理主義者であるとは言うけれども、経験主義のみならず、これまでの合理主義をも批判する。ジェイムズもまた逆の立場から同様に批判する。フッサールは「合理主義と経験主義をありきたりに対照させるということ」
(10)に対しては批判的であり、単にそれだけからは真の哲学は生まれないと考え、それらを越えた「知」のあり方において真の哲学の到来を期している。
 ジェイムズの場合は、両者の対立も心が「硬い」か「軟らかい」かの違いであり、
(11)場合によっては「合理主義」と「経験主義」とを調停し、和解させることだってできるのだと言わんばかりの口調である。
 彼ら二人にとっては、これまでの合理主義と経験主義とは同じ穴のムジナであり、実際、相手の特徴を取り入れなければ自説を展開できないにもかかわらず、己れの「知」のあり方のみが正しいのだと言いはっている喧嘩好きな兄弟でしかなかったと言えようか。
 フッサールとジェイムズが問題にしていたのは、単に合理主義がよいか経験主義がよいかという形での選択ではなく、「合理主義」と「経験主義」という二元的対立関係で「知」のあり方が求められようとする近代におけるその構造性であったのである。彼らはこの時点で言われる「合理主義」とか「経験主義」とかが、いわゆる「始源的なもの」と「始源的なもの」との対立関係で云々されているのではないことを見抜いていた。即ち「始源的なもの」から派生した二次的なもの、あるいは心理的、象徴的なものとしての「合理主義」あるいは「経験主義」が取り沙汰されていたにすぎないと考えていたのである。その意味では「超越論的現象学」であれ「根本的経験論」であれ、そこで問われていたものはまさにその「始源的なもの」であったのであり、それこそ現代の哲学者ならば、そのほとんどが希求してやまない、合理主義的精神や経験主義的世界をも包摂しうる、あるいはそれらの基盤となる究極的実在的なものであったと言えるのである。
 彼らにとって「始源的なもの」と見なされていたものは彼らに固有のものであったが、それらはある種の「実在性」に対する彼らの意味変更に起因しているように私には思われる。もとよりそこからわれわれは彼らが従来から言われているような「実在論」を展開しているというのは間違っている。それ故に彼らにとって「始源的なもの」が従来から言われているような意味での「実在的」対象であるとは言いえないかもしれないが、しかしそれは紛うことなく、われわれにとって「親しみ深い」関係にあるなにものかとして位置づけられている。
 つきつめていった場合、彼らにとって「始源的なもの」(あるいはいっそのこと「根源的実在性」と言ってよいのかもしれないが)は、いわゆる近代的思考の本性的なものと見なされる二元的な思考、たとえば心と物、意識と存在、主体と客体、精神と身体と言った、要するに「主観」と「客観」とに分けて事物を取り扱い、その中で「実在性」を求めていこうとする「存在論的二元論」の考え方とは異質の認識論的態度から生まれてきているのはあきらかである。その意味では彼らの「始源的なもの」は、ただ単に主観による客観の了解、あるいは主観への客観の現出といった既存の図式性のもとではとらえられない概念であった。
 一般に「合理主義」と「経験主義」と言われる二元論的な対象もまた、そう言った近代的産物として生まれてきているのであり、フッサールやジェイムズが「真の」あるいは「徹底した」という言い方を付加しないでおれなかったのは、この近代の存在論的思考にくさびを打ちつけたかったために他ならない。
 ここでわれわれが注意せねばならないのは、彼らが「始源的なもの」を確立していく過程にあって、従来の合理主義あるいは経験主義のトータルな否定によって、第二あるいは第三の思考原理を想定しようとしているわけではないと言うことである。即ち、彼らの目からしても従来の合理主義あるいは経験主義は、日常的生活においては、われわれの生活原理となっている事実は疑うべくもないし、それ故にその存在生そのものをトータルに否定できなかったのである。
 しかし、だからといって、そのことの故に、それらがその存在性の客観性あるいは普遍性が保証されているわけではない。客観性あるいは普遍性が保証されているということは、それらを始源とすることが明証的に基礎づけられているの意である。フッサールやジェイムズにとって、従来の合理論者や経験論者があるテーマについて客観的なもの、普遍的なものと見なす態度は、その言葉とは裏腹に、それ自身偏見であり、先入見であり、事実は彼らは自我におけるあるいは世界についての一つの独断的見方を提言していたにすぎなかったのである。これが彼らの立場から見た合理主義あるいは経験主義に対する共通した考え方であった。
 その点をあきらかにするためにフッサールが特に注目するのは、「心的なもの」に対するこれまでの合理論者の考え方であった。たとえば、デカルトについてフッサールは次のように考えている。デカルトは疑いのあるあらゆるものを取り除いて絶対確実なものを求めて「デカルト的エポケー」
(12)を行った結果、一つの「エゴ」の概念を導出しようとしたのであるが、フッサールにしてみれば、その意図は正しかったのだけれども、そこから生まれる自我は結局は捨象の産物であり、それ自体は問われることなく、自然化され実体化されてしまったので、結局は「自我及び自我の認識的生による『外界』への推論の可能性が『自明的であること』」(13)にまで異議をさしはさむほどに徹底的な反省をしなくなってしまったのである。そしてフッサールはそのような合理主義を超越論的主観主義へと発展させたカントですらも「自然化され、精神─物理的人間の構成要素として考えられた心」(14)の頸木から解放されなかったと考えたのである。
 他方、ジェイムズの場合はどうか。彼はこれまでの経験論者が認識の始源と見なしていた「印象」や「観念」なるものが実はそうではなく、一つの抽象化の産物であったと考える。たとえば「ヒュームの『単純印象』、ロックの『単純観念』は、ともに経験において実在化されない抽象であった。」
(15)経験論者にすれば、そう言った印象や観念をもつことが、いわゆる「知る」ということになるのであるが、そのことでもって、本当にすべてを知ったということになるのであろうか。ジェイムズにしてみれば、この「知り方」は、確かに一つのそれではあったが、あくまでもそれはある顕在的な部分についてのそれであり、決して客観的なもの、普遍的なものとしての「知り方」ではなかったのである。にもかかわらず、これまでの経験論者は、そう言った印象や観念を自明の所与として疑うことをしなかったばかりか、それらを通してこそ、事物の説明ができるものと思いこんでいた。言わば虚構の世界、言い換えればわれわれの生とは直接にかかわらない象徴の世界を作り上げていたのである。それ故にジェイムズは経験論者が掲げる「すべては経験に起因する」のスローガンの不徹底さを突き、文字通り、このスローガンを貫徹しようとして、彼固有の経験論を展開しようとしたのであった。
 このように彼らは「始源的なもの」を求め、そこから「知」の正しいあり方を確立しようとする点では、共通の視点に立っていたと言えるのであり、その意味では、これまでのわれわれの「知り方」にともに警鐘をうちならそうとしていったのは分かるのであるが、まさに彼らが真の合理主義、あるいは徹底した経験主義を確立しようとするその意図からも想像できるごとく、彼らにとって「始源的なもの」という形で特に求めていった具体的イメージは異なっていたと考えられよう。
 フッサールにとっては事物を認識するにせよ、体験するにせよ、その中心的役割を果たすものは自我であるという風に思われたが故に、「始源的なもの」は「超越論的主観性」なる概念として発展していったのに対し、ジェイムズの場合は、人間的生そのものに注目し、その実在性は経験という形によってのみ保証されると考えたのであるが、従来の「経験」の考え方では、すでに「われわれの精神的習慣」
(16)の働きが介在しているというので、それの介在する以前の未分の状態にある経験、即ち「純粋経験」を「始源的なもの」として確立しようとしたのである。
 言い換えればフッサールの「超越論的主観性」は、「自由の主体としての人間とは何か」の省察の結果、浮き彫りにされてきたある種の人間観に応えるものとして、そしてまたジェイムズの「純粋経験」は「われわれにとって実在的な世界とは何か」の模索の末にたどり着いたある種の世界観に応えるものとして生まれてきた「始源的なもの」だったのである。
 このように、同じ「始源的なもの」と言っても、彼らの意味する内容は異なっている。そこからわれわれは、冒頭に述べたように、彼らが同じビジョンを現代人になげかげていたとする主張はまちがっているのではないだろうかと、つい考えたくなる。はたして「超越論的主観性」と「純粋経験」とは、丁度今のわれわれが「合理主義」と「経験主義」とを全く相対立する認識論的立場であると考えたように、お互いを排斥するような異質の「始源的なもの」なのだろうか。否、結論を先に言えば、決してそうではなく、両者は相関関係にあり、同じ認識論的テーマにおいてオーバーラップして展開されているにすぎない相関項であったのである。
 そしてそれをこそ伝えるのが本章のこれからの役目なのであるが、今それを性急に果たすにはもう少しの吟味を必要としなければならないだろう。ただここでは、われわれは次の二点を確認することは必要であろう。即ち合理主義であれ経験主義であれ、これまでのわれわれの「知」の求め方はすべて「始源的なもの」の存在性を忘れ、己れの恣意的な思いこみを出発点としていたということである。そこでは「知」の主体は何ら問われることなき自明の存在性として誤りなく前提されていたのであり、「知」の客体もまた、その主体の前に素朴に定立されていたのである。われわれはそう言った主体と客体及びそれらの関係が「ありのままの事実」であると思いこむことによって客観的にして真なるものと決めつけていたのである。そしてフッサールとジェイムズはそう言ったわれわれの「知」の求め方に決してお墨付きを与えようとはしなかっただけだということである。

Ⅲ 「始源的なもの」を求めるフッサールとジェイムズ

 このようにフッサールとジェイムズは「始源的なもの」を求めることにおいてラジカリストであったわけだが、そうかと言って、彼らが「人間存在」についてラジカリズムに殉じるほどにかたくなであったわけではない。彼らは、人間が、とりわけ近代人が無謬の信仰とも言える存在論的二元論に依拠しているという事実性を価値判断としては否定しているものの、事実判断としては認めていたのは、その証左である。それを認めていたが故に、彼らは、存在論的二元論に基づく「知」の求め方を人間の「本性」に適った傾向性のあらわれとして一方的に拒否しようとはせず、むしろ「始源的なもの」から派生する一つの帰結にすぎないと考えたのではあるまいか。即ち、彼らとて現実的に存在する人間をスポイルしてまで哲学を語ろうとしていたのではなかったということである。
 彼らの哲学的思考の背景には、私なりの言葉で言えば「存在的に制限されたホモ・サピエンス」のイメージがちらついていたのである。むしろそう言った人間観を十分に認めていたからこそ、これまでの哲学が真に本質的なものの研究ではなく、そこから派生したものの単なる研究でしかないとする彼らの主張のその重みを感じとることができるのではあるまいか。
 それでは彼らが特に無視できなかった人間の特性とは何であっただろうか。ここでも彼らがそれぞれ合理論者、経験論者に与しようとする彼らの視点の違いが特徴的に現れているように思われる。即ちフッサールにとっては、人間とは本来的に理性的存在者であったが、人間的存在としては、まさに存在的に制限されていた。この「事実性」は彼に「自然化(Naturalisieren)」という概念を呼びおこさせた。「自然化とは、世界的─実在的であるすべてのものは直接的あるいは間接的に空間的─時間的領域に己れの場をもっているということの中にその根拠と権利を持っている」
(17)と彼が言うように、人間存在(従って精神も)のみならず、すべてが空間的─時間的に制限され、従って存在的に制限されざるをえなかったのである。
 そのように考えると「自然化」とは、人間存在が制限されている以上、不可避的にともなう人間の傾向性と言わざるをえない。そしてその結果として存在論的二元論的思考もそれの働きの一つとして生まれてきているのであるが、やがてはこの人間の傾向性が客観的事実として実証されていると断定されるようになって、この思考は「知」を求める真実の方法とさえ見られるに至ったのである。
 他方、ジェイムズにとっては、人間存在が存在的に制限されているのは当たり前のことであって、それを不思議とは思わない。むしろ彼にとって考慮されるべき人間の特性とは、まさに人間が理性的存在者であり、彼流に言えば知性をもっているという「事実性」の方であった。その結果、人間が存在していく過程にあってこれまた不可避的にともなう事態は「実在を知性化する」ということであった。この「知性化」とはジェイムズにとっては人間が人間であることを示す能力の一つとして確かに位置づけられていたのであるが、具体的には常に実在を「概念への翻訳」
(18)によって理解しようとすることをたくらんでいた。そしてそう言った形で「知」を求めていくことが対象化されたものの本質を浮き彫りにしうると信じてしまったのである。
 それ故に、もし人間存在が「存在的に制限されたホモ・サピエンス」であると言えるのなら、換言すれば、「空間的─時間的領域内で知性を働かせる存在」であると言えるのならば、「事実性」という観点から言えば、われわれの「自然化」作用あるいは「知性化作用」は、その生存に課せられた十字架のようなものであり、キリスト教徒の言う「原罪」にも相当すべき、不可避の人間的業とも言えよう。フッサールとジェイムズはそう言った「事実性」を熟知していればこそ、かかる作用のもとでの実践的生活を可能性の一つとしての「現実性」として位置づけようとしたと考えられるのである。
 ともあれ、彼らの言う「自然化」、「知性化」はその特性上、アンビバレントに価値判断されているのであるが、その全般的流れとしては、既述のように、それらは「始源的なもの」からの逸脱を招来させているという認識をともなっていたのは間違いない。とはいえ、これらの言葉は彼らによって常に使われていたわけではなく、彼らの意図をくんで、私が一方的に選択したものである。それ故に、これらの言葉の具体相として彼らが何を思い浮かべていたかについて次に敷衍してみよう。
 フッサールの「自然化」について言えば、既述のように、空間的─時間的領域内で客観性が保証されていると見るわれわれの「素朴性」にそのすべてが起因していた。その「素朴性」とは自己省察することなく、自然的な存在をすべて客観化、対象化するわれわれの認識的態度、従って客観的世界がそのままに定立されている態度決定が可能であるとする思いこみにも通じている。
 そのような態度は、フッサールをして言わせれば、すでに「気のつかないうちにあらゆる自然性を貫いている世界経験の普遍的な先入見」
(19)をもっていたのであり、すでにわれわれの精神の中で一つの枠づけをもった認識作用を展開していたにすぎない。しかしながら、その場合に、同時に自己省察せぬ自我が同様の態度のもとに自明的事実として認定され、つまり自然化され、そのもとに一つの近代にとって固有の生のパターンがうちだされてきているのである。即ちこの「自然化」は「数学化」、「技術化」、「理念化」、「観念化」、等の作用をうけた二次的世界を具体的に招来させ、ついには、われわれとわれわれを含めた自然的な存在間に形成される意味の空洞化を見るようになってくるのである。
 このように見てくると、われわれはフッサールが「自然化」という言葉を使うとき、確かにそれは専らに心や精神についての一つの様態を述べているのであるが、だがそれは直接的且つ十全的に自己を把握する明証的な意識をあいまいにしたままに世界を実在化しようとする人間の傾向性のことを言おうとしていたのではなかったかと思われる。
 ではジェイムズの「知性化」について言えばどうか。ジェイムズにおいても「知る」ことは人間的生活を営む上に不可欠の実践的態度のあらわれであることぐらいは熟知されている。従ってそう言った能力として、知性が人間に備わっているのは当然としても、ややもすれば、その「知り方」において「~について知る」ないしは「~と定義する」といった形で「知る」ことが知性の本性とも言える営為であるとされるようになる。つまり、その形で知らねば知ったことにはならないのだとされるのである。これがジェイムズをして「知性化」とは、「概念化」、「抽象化」、「象徴化」等であるにすぎないと言わしめるのである。
(20)確かにそれは一つの「知り方」であろうが、全実在を知ったことにはならず、言わば実在を象徴として知ったにすぎないのである。
 ジェイムズが知性を単に抽象の能力としてしか考えていないと考えるのは、やや強引のきらいがなくはない。この点、彼がイギリス経験論の系譜をひく「知性」観に従っていると言えるのだが、しかしこの考え方で注目すべきなのは、われわれの知的な取り扱いが「精神的習慣」として位置づけられている点である。そこから敷衍して考えるに、われわれが「~について」知り、「~である」と定義することで実在を知ったとする心的構造性は習慣によって形成されてきているのであり、客観的事実をそのままに伝えていることではなかったということである。ここに、われわれは「知性化」と言う言葉でジェイムズが訴えようとしていたのは、それを人間の営為の二次的なものとすることによって、もっと別の形の、しかも直接的な形の事物の取り扱い方によって実在を把握することの重要性であったと推測されるのである。
 かくて、フッサールとジェイムズがそれぞれに「自然化」、「知性化」を批判する際に念頭にあったのは、「超越論的主観性」と「純粋経験」なる「始源的なもの」のイメージであったことが彷彿されてくるのであるが、その前にわれわれは何故そう言った「始源的なもの」がなかなかにフットライトを浴びえない状況に立たされていたのかについて熟知する必要もあったのである。
 「自然化」であれ、「知性化」であれ、それは現存在としての人間の日常性の中に沈潜した傾向性としてあるのであり、しかも、それらは素朴な形で定立され、批判されざる習慣のなせる業として実践されてきているのである。彼らが問題にしているのは、「自然化」や「知性化」が確かに生の形態の一つとしてあるにしても、常に「自然化」を忘れさせる特徴を包含していたということであり、それどころか、そう言った生の形態が、「客観的にして真なる」状態であり、われわれに実在性をもたらす<始源的なもの>であるかのごとくに思いこませていたということなのである。言い換えれば、彼らにとって重要な事柄は、人間存在が「自然化」された状態である、あるいは「知性化」して事物をとらえるということもさりながら、それ以上にそれらの傾向性を普遍的なものにしてしまおうとする態度そのものであったのである。
 周知の如く、この彼らの関心がフッサールの「自然主義的態度」批判となり、ジェイムズの「主知主義的態度」批判となって学問的に展開されてきていると言えよう。彼らにとって「自然主義的態度」あるいは「主知主義的態度」とは、現代において「知」を学問的にとらえようとする者の強固な砦であるが故に、その偶像性を打ち砕くべく設定された獅子心中の虫であった。それ故に、まさしくそれはそれぞれ次のような論拠をもって彼らの確信となったのである。
 フッサールにあっては、人間が自然的存在である以上おのずと「自然的態度」をとっているその素朴性に気づかなければならないわれわれがそれを見過ごすことによって「自然的態度」から発生し理念のようになって生まれるようになったところの「自然主義的態度」の偏見性は、打破されなければならないということであり、ジェイムズにあっては、人間が知的存在である以上おのずととる「知的態度」の抽象性をわれわれは自戒せねばならないのに、それを怠ったことによって「知的態度」から発生してこれまた信念のようになって生まれるようになった「主知主義的態度」の偏見性は、シャットアウトされなければならないということであった。
 まさに彼らにとってこれらの「自然主義的態度」、「主知主義的態度」とは長い歴史を経て沈潜し露呈したところの現代人によってふさわしい、だが避けられるべき理念であり信念であるにすぎず、しかもそれらは実在の十全的な把握をではなく、手掛かりとしての把握をしているにすぎないと彼らに見なされたが故に、超克されるべきわれわれの態度として殊更に設定されたのであった。
(21)

Ⅳ 「現象学的還元」と「プラグマティックな方法」

 ここに至って、われわれは初めて彼ら二人の哲学者の哲学的動機を見ることになる。それはわれわれが通常あまりにも見慣れているが故に見過ごしている生活形態への「注意」という形で現れている。即ちフッサールにあっては、われわれの日常生活が「自然的態度をとっている」ということが、そしてジェイムズにあっては、われわれが「知的にふるまっている」ということが、「注意」の対象とされたのである。われわれがそう言った生活形態をとっていることは、言わば自明の事実として見え、時にはその事実を思いおこすことがあったとしても、その自明性の故に、それらはささいな事柄として片付けられてしまう。ところが彼らにあっては、既述のように、逆にそのような生活形態をとっているということが意味深い重要な事柄として殊更に認識されたのである。
 この認識はまさに哲学者ならではの「驚き」の感情の具象化として生じているのであり、従って「平凡な事柄」や「見慣れたもの」に隠された真実を見ようとする哲学者の営みの典型であったかもしれない。それ故にそれは哲学者の独りよがりの大仰さであると揶揄される場合も生じるのであるが、しかしながらそれが単なる哲学者の大仰さではないという証左は、そこから彼らが共に「始源的なもの」を求めていったということにあろう。即ち再三再四述べるように、フッサールは「自然的態度をとっている」という事実性が主体性なきわれわれの「素朴性」に起因していると見、ジェイムズは「知的にふるまっている」という事実性がわれわれ人間的生にとって「抽象性」をもたらしていると見る見方を媒介にして、それぞれに「始源的なもの」を求めていったのである。
 さて、彼らがその「始源的なもの」を求めていくその仕方は、無から有をつくるといった創造的なものではなく、隠された事実的なもののベールを剥いでそれを浮き彫りにしていくという点で共通している。言い換えれば、ひとたびわれわれの生活形態のこれらの事実性に気づいたならば、われわれはそれらに対して一つの操作をすればよいと言うのである。この操作は、驚くべきことには、何も特殊な能力や訓練を必要とはしない。われわれが「自然的態度をとっている」ことに気づいたならば、そのような態度をとることを中断すればよいのである。
 具体的に言えば、「空間や時間や因果性などをもってする事物性の措定的な存在的定立を内に含む一切の陳述をしようとはしない」
(22)態度をとればよいのである。あるいは、もしわれわれが「知的にふるまっている」ということに気づいたならば、そのようなふるまいをすることを止めればよいのである。これまた具体的に言えば、対象について「それは~である」と言ったごとく知的に定義しようとはせず、それがいかに現れ働いているかをそのままに述べればよいのである。言い換えれば、われわれが一種の「エポケー」の状態に身をおくことが、自然的態度における素朴性、知的態度における抽象性を浮き彫りにすることができると彼らは考えたのである。
 彼らの提示する操作方法は一種の意識的になされる態度変更をともなっているわけであるが、言わば「コロンブスの卵」のごとき、われわれの思考態度の盲点をついている。ここでは彼らはわれわれが「自然的態度をとっている」あるいは「知的にふるまっている」こと自体を拒否しようとはしない。ただ、そうする態度にあることを止めよというだけである。そしてそう提言することによって自然的態度のもつ素材性、知的態度のもつ抽象性を批判の俎上にのせようとするのである。
 尤も、彼らにとって、われわれが「自然的態度をとっている」あるいは「知的にふるまっている」ことに気づくということと、それらに対して態度変更をするということとが同時進行的になされているか、あるいは相関的にとらえられていると見るべきであり、その点が、それらに気づいたとしても自明の事実として片付けてしまうわれわれ一般人の気質と彼らの哲学的資質における違いであると言えるだろう。この時点においても、彼らの考える「始源的なもの」のばくぜんたるイメージが彷彿されてくるのであるが、その前にわれわれは以下の点にも注意せねばならないだろう。即ち、彼らは自然的態度あるいは知的態度そのものについては否定しようとはしなかったし、それのみかそれらの事実性のもつ重みを十分に認めてさえいたのであるが、それらが理念化されたり、信念化されたりした場合にのみ、言い換えれば自然主義的態度あるいは主知主義的態度に転じた場合にのみ、はじめてそれら自然主義的態度あるいは主知主義的態度に批判の目を向けるようになってきているということである(ただし、その間には紆余曲折があるが)。
 ある意味では、われわれは彼らの哲学の中心課題がこの理念化され信念化された自然主義的態度の、あるいは主知主義的態度の批判にすべて集中されていると受けとっても間違いではない。彼らはこれらの態度をまさにわれわれに巣食う偏見として位置づけることによって、方法論においても、徹底したある種の態度を一貫させようとしたのである。フッサールの「現象学的還元」、ジェイムズの「プラグマティックな方法」は、彼らの哲学のキイワードであるといってもよいほどの極めて重要な概念であるが、これらこそ、自然主義的態度批判あるいは主知主義的態度批判を行う上で、彼らの批判的原理として積極的に設定した不可欠の方法であったのである。
 とは言っても、これらの方法は先程の「エポケー」と同じ背景をもっている以上、むしろその「エポケー」を積極的に支持するための意識的操作と見た方が正しく、それ故にこれらの方法もまた、「コロンブスの卵」であり、そのもつ意味の大きさには気づかなかったけれども、昔からあった考え方を踏襲し徹底化したものでもあったのである。
(23) 
 さて、これらについても彼らは具体的にはどのように考えていたのであろうか。フッサールは以下のごとく考えていた。「われわれは経験の中で素朴に生きたり、経験されたもの、超越的な自然を理論的に研究したりする代わりに《現象的還元》を遂行する。他の言葉で言えば、自然を構成する意識に属する諸作用……やそれらのもつ超越的な定立を素朴な仕方で遂行したり、それらの作用に横たわっている動機づけに誘発されて常に新しい超越的定立を行ったりする代わりに─われわれはこれらの定立のすべてを《作用の外》におき、それらに同調しない。そうしてわれわれは、われわれの把握するまなざしや理論的に研究するまなざしを、その絶対的な固有の存在における純粋意識へと向けるのである。」
(24)
 他方、ジェイムズは「プラグマティックな方法が意味しているものは、特殊な結果ではなく、方向づけの態度にすぎない。即ち最初の事物、原理、範疇、仮定された必然性から離れ、最後の事物、結実、結果、事実に向かう態度である」
(25)と明言した上で、それを認識論的に発展させ、そう言った態度に徹するためには「自己─超越に関する論争は純粋な言葉の争いである」(26)とする一方、あらわれた事実に対しては「額面通りに」受けとり、「われわれの誇った精神の成熟さを捨てて、理性の目には再び馬鹿な小さな子供になる」(27)ことを提唱したのである。
 ここに至ってわれわれは、この二人の哲学者が全く異質の人間観に立脚し、見ようによっては相反する言葉を使いながらも、奇妙な一致点をもっていることに気づくのである。それは彼らが徹底した記述的態度で事物を取り扱っていると言うことである。そのためにはフッサールは「事象そのものに従い……言葉や臆見を捨てて事象そのものに立ち帰り、事象をその自己所与性において問いただし、事象とは無縁のすべての先入見を取り除く」
(28)ことで「始源的なもの」を求め、ジェイムズは人間の精神に内在する一切のアプリオリズムを廃し、「なまの言語化されない生に立ち戻る」(29)ことによって「始源的なもの」を求めようとした。
 かくして「事象そのもの」の作者として「超越論的主観性」が、「なまの言語化されない生」の舞台として「純粋経験」が、あたかも双子の「始源的なもの」であるかのようにして浮き彫りにされてくるのである。
 その際、注目すべきなのは、彼らの記述的態度のあり方である。徹底して記述的であるためには、フッサールも言うように、「完全に『関心を離れた』観察者」
(30)であることが要求されるのであるが、そのことは逆に「事象そのもの」を主体的なものとの不二性においてとらえさせているし、「なまの言語化されない生」を抽象的な自我によっては営まれえない原素材的なものへと関連させている。そこから、なるほど、彼らの「始源的なもの」のイメージは異なっていたとはいえ、ジェイムズ流にプラグマティックに言えば、その方向性としては同じテーマをもったことになっているのである。即ち、フッサールが現象学的還元によって始源的なもの(「超越論的主観性」)を顕在化させるにあたって登場させた「事象そのもの」とは、ジェイムズにとってまさに始源的なもの (「純粋経験」)に相当しているのであり、ジェイムズがプラグマティックは方法によって始源的なもの(「純粋経験」)を根源的素材として浮き彫りにするために手伝わせた「なまの言語化されない生」は、フッサールにとってまさに始源的なもの(「超越論的主観性」)に相当していたのである。
 一見、この考え方は「始源的なもの」が一方では目的とされ、他方では手段とされ、あるいはその逆のようにされているので奇異に見えるかもしれないが、彼らにとっては丁度主観と客観とがそれぞれの相関項として位置づけられているように、目的と手段もまたそれぞれの相関項として位置づけられていると考えれば、不思議でも何でもない。むしろ彼らにとって目的であることは手段でもあるのであり、またその逆に手段であることが目的でもあるという風に考えることの方が一切の先入見、一切のアプリオリズムを捨てて事物をとらえようとした彼らの意にかなっているといえないだろうか。
 このことは微細な点においては問題のある対比として考えられるかもしれない。しかしながら、フッサールの「超越論的主観性」が生の問題の次元で解明されるべきであり、ジェイムズの「純粋経験」が明証的に直観されるような素材であるとされるべきならば、これらの対比は必ずしも無意味ではないだろう。何故ならば、彼らとて、それぞれの哲学的基盤からの制約を受けているのであり、従って彼らの哲学をより高い総合に向けさせる作業をすることの方がより大切であると考えられるからである。

Ⅴ 結語

かくてわれわれは二人の哲学者にとって「始源的なもの」とされる考えが導出されてくる過程を見てきた。われわれは言葉としては彼らの意図に従って、それらを「超越論的主観性」、「純粋経験」であると命名してきたのであるが、それではそれらはいったいなにものであろうかという疑問をもった場合には、積極的ななにものも見いだせないであろう。彼ら自身もその疑問に答えるべく一応の努力をしているかに見えるが、要領をえていないというのが一般的意見でもある。
 これについて敷衍して考えてみるに、もともと彼らの「始源的なもの」はわれわれの「自然化」あるいは「知性化」の作用を排した中でこそ生まれてきているのであるから、われわれがそれを実体化したり、述語化したりできないものとして位置づけられてこそ、値打ちのでてくる考え方であったのである。それ故に、これらはわれわれが説明できるものではないが、ただ単に記述できるものであるとしか言われえないだろう。これらの存在性については、われわれは通常の方法においては決して験証されえないのであり、強いてその存在性を見るとするならば、直観されたものないしは感じられたものという形かあるいは信じられたものないしは仮定されたものという形でしかないであろう。
 そうなると彼らの「始源的なもの」は人間的な領域から離れ、言わば神的なあるいは神秘的な領域で取り上げられそうな存在性となっていくかに見える。先程、私は彼らの「始源的なもの」を求めるそのやり方は「コロンブスの卵」こごときあっけなさのもとにあることを述べたが、それはまさにそのやり方を遂行しえた者の回顧談に等しい比喩であったかもしれない。何故ならば、われわれの「自然化」あるいは「知性化」の作用は人間的存在の構造性そのものに起因する作用だからであり、仮に、それに気づいたとしても、それを排除するということは、己れ自身の存在基盤を否定するに等しいからである。そうだからこそ、別の面では、己れのこのようなやり方やそれを遂行しようとする態度について、フッサールは「宗教的回心」
(31)でもあると例えたり、またジェイムズは「革命」(32)でもあると言いきっているのである。
 実際のところ、彼らの方法論が最も効果をあらわすのは、現存在としての人間がその構造性の故に「自然化」を「自然主義化」し、「知性化」を「主知主義化」して事物をとりあつかおうとした時だけかもしれない。その時になってはじめて、かれらの「宗教的回心」あるいは「革命」は、具体的には「反自然主義的態度」あるいは「反主知主義的態度」となって一定のリアリティを見ることになるのである。
 このときも、われわれは彼らの意をくんで積極的に「反自然主義的態度」を「人格主義的態度」として、また「反主知主義的態度」を「主意主義的態度」として位置づけることができるかもしれない。しかしながら、それならこれらの言葉でもってすれば、彼らの思い抱く「始源的なもの」がはっきり示されるのかと言えば、それも疑問である。何故ならばこれらの態度もまた、現存在としての人間の構造性から生まれた相対的且つ理念的な特性を有すると考えられるからである。
 要するにフッサールの「超越論的主観性」にしても、ジェイムズの「純粋経験」にしても「存在的に制限されたホモ・サピエンス」の思考パターンからでは比喩的にしか提示されえない「始源的なもの」である。従って、存在論的にあきらかにされえない神のごとき、あるいは神秘的な対象であるとも言えるのであるが、しかしながら機能としてはまさに実在性を与えられてわれわれに訴えかけてくる一種の迫力をもっている。
 冒頭にも述べたように、かかる「始源的なもの」をアルケーとする哲学はそれぞれに「超越論的現象学」、「根本的経験論」と命名されているのであるが、これらの哲学はその方法論によってまさにわれわれの哲学的精神の「回心」、「革命」を促すべく要素をもっている。
 第一にその徹底した記述的態度によって、心的な次元であれ物的な次元であれ、「ある」と言うことを「現れている」あるいは「働いている」ということとして理解しようとしている。とりわけ「現れている」場合はたた単に「現れている」のではなく、「何かを告知しようとして現れている」として、また「働いている」場合はただ単に「働いている」のではなく、「何かに向けて働いている」としてとらえることによって例の存在論的二元論を駆逐する効果をもっている。
 第二に、これは第一の考え方からの帰結なのであるが、これら「現れ」なり「働き」なりが持続性と統一性をもっていることを見いだしたことである。つまりそれらを「生」の次元に還元したのであるが、とりわけ重要なのは、われわれの経験というものが単に経験するものと経験されるものへと二分化される以前の根源的形態を基盤としており、その視点からみた場合、われわれのこれまでの思考習慣によっては理解できない経験における「地平性」ないしは「辺縁性」を経験の基底根拠としたことである。この考え方は「科学」的態度ですらも一種の偏見であり、「科学的世界」もまた抽象の世界であるとする見方を可能ならしめているのである。
 フッサールとジェイムズにとっての「始源的なもの」とはそう言った生に還元された直接的な経験における不可欠の要素であり、「ある」ということを「現れている」ないしは「働いている」という風な見方に転じさせたり、心的な次元であれ物的な次元であれ、あらゆる事物の「地平性」、「辺縁性」を浮き彫りにしたところの核でもあり、場でもあったのである。彼らはこれらの「始源的なもの」を、あたかもわれわれの思考習慣に挑戦するかのように、われわれに提示してきたのである。われわれが彼らのこの「始源的なもの」に対してその「実在性」を保証してやるかどうかは、ひとえにわれわれが「知」についてどれだけ厳粛に考えているかどうかにかかっていると言えるだろう。

(1)S.P.P.,p.7
(2)Husserliana, Bd.XIV/1,p.350
(3)ibid.,pp.200-201
(4)P.U.,p.291
(5)Husserliana, Bd.VIII,p.7
(6)S.P.P.,p.96
(7)P.U.,p.326
(8)たとえば、彼ら自身の精神的糧である「哲学」という言葉について考えてみても、つきつめていくと、ジェイムズにとっては哲学とは「人間の内的生活の表現」(P.U.,p.176)であり、「気質」の問題に還元されていくのに対し、フッサールにとっては哲学とは絶対的に基礎づけられた純粋にして厳密な「学問」以外のなにものでもないのである(Husserliana, Bd.VII,p.190)。従って「哲学とは何か」を巡る論議になると、彼らは同じ土俵では戦えなくなるのである。
(9)最近のフッサールとジェイムズとの思想上の類似性を指摘する著書の一つに、R・スティヴンスの『ジェイムズとフッサール』があるが、著者はその中で以下の九項目にわたってその類似性を指摘している。本書ではそう言った問題については特に取りあげなかったが、それぞれの研究者には一度比較検討する値うちはあるだろう。
①純粋経験と絶対的始源的領域の発見と絶対的所与としての現象の領域の方法的告示
②辺縁理論と地平理論
③「考えの対象」と「十全的ノエマ的相関項
④「I」と経験的「Me」との区別と純粋現象学的自我と人間的自我との区別
⑤客観的世界の一部でもあり意識野の起点でもあり、さらには人格的同一性の客観的な核であると見る身体についての記述
⑥想像的移入による唯我論の問題の解決
⑦知覚的対象の前反省的所与を伴う共通の所与の世界地平の意識は、ドクサあるいは信念とよばれる一つの特殊な様態の確実性によって特徴づけられるということ
⑧意識野の内部にある焦点と地平との転換性
⑨意味の概念的組織から体験的知の原初的領域へとかかわらせる還帰の「移行」過程としての真理の機能説と生活世界の構造における明証性の基礎づけ(R.Stevens;James and Husserl The Foundation of Meaning,Nijihoff,1974,pp.178-179)
(10)Husserliana, Bd.VI,p.63
(11)この点については、ジェイムズの『プラグマティズム』の第一講において詳細に論じられているので参照されたい。
(12)Husserliana, Bd.VI,p.76
(13)ibid.,p.82
(14)ibid.,p.117
(15)P.P.,I,p.487
(16)P.U.,p.252
(17)Erfahrung und Urteil,p.29
(18)S.P.P.,p.78
(19)Husserliana, Bd.I,p.74
(20)ジェイムズは「知識」には二種類があると考えている。一つは事実の直接「知」(Knowledge-acquaintance)であり、二つは事実に関しての「知」(Knowledge-about)である。それ故「知性化」とは後者をもたらす様態であると彼は考えているのである。詳しくは彼の著『心理学原理』、第八章を参照。
(21)後述のように、このとき彼ら自身、一つの態度を想定していたことはまぎれもない事実である。即ちフッサールにおいて「自然主義的態度」批判がなされる場合は「人格主義的態度」が、ジェイムズにおいて「主知主義的態度」批判がなされる場合は「主意主義的態度」がその支えとなっていたと考えられる。しかし本章においてはそれらについてのそれ以上の言及は省かせてもらう。
(22)Philosophie als Wissenschaft,p.300
(23)ジェイムズは『プラグマティズム』の副題として「若干の古い思考方法のための新しい名前」というタイトルをつけ加えている。いいかえれば「プラグマティックな方法」とは昔からあった考え方だが、それを「焦点的対象」とし、「明確なもの」にするために新しく名前をつけたにすぎないと考えていたのである。フッサールの現象学的還元という「方法」も同様ではないだろうか。真理の認識のために古くからありながら、なにげなく使われていたものに対して、フッサールはそれを浮きぼりにし、「核」の部分として意味あらしめたのが、この現象学的還元という方法なのだと私には思えてならない。それらが共に「コロンブスの卵」であると私が言う所以である。
(24)Husserliana, Bd.III,pp.106-107
(25)Prag.,p.47
(26)E.R.E.,pp.73-74
(27)P.U.,p.273
(28)Husserliana, Bd.III,1,p.41
(29)P.U.,p.272
(30)Husserliana, Bd.VI, p.160
(31)ibid.,p.140
(32)P.U.,p.273


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